食の歳時記 「松茸の土瓶蒸し」と「松茸ご飯」 長月ながつき9月
長月=松茸、菊、栗、戻り鰹
山登りの帰りに、岩手県葛巻町の産直ハウス「ほすなある」に寄りました。今日採れたという立派な素晴らしい松茸を売っていました。2パックだけしか並んでいないところが、希少価値十分で、買い心をくすぐります。しかし、あまり高価なので、今回は買わないで駐車場の車に戻りました。が、待てよ…、今後、もう葛巻町産直ハウスに来る機会があるだろうか…、もうこんな新鮮な大きな松茸に出くわすことはないのではないか…、もうこんないい松茸は一生食べられないのではないか…、2パックだけしかないので直ぐ買わないともう売り切れてしまうのではないか…、と思い改め、妻と二人の財布の有り金を寄せ集めて、又、再度、急いで売り場に行って思い切って買ってしまいました。買った後、銀座のコートの話を思い出しました。銀座のショーウインドーに飾ったコートが売れないので、5倍の高い値段をつけたら直ぐ売れてしっまた、という話です。この話を聞いたときは、金持ちの女性の他人の話で、自分には関係ない話と思っていました。しかし、松茸を買った後考えました。このコートを買った女性は金持ちの特別な女性でないのではないか。このコートを買った女性は、わたしたちと同じ、庶民の普通一般の女性ではないかなぁ~、と思うようになりました。「もう銀座に来ることはないかもしれないわ。もうこんないいコートを買う機会はないかもしれないわ。今買わないともう一生買えないかもしれないわ。一着しか飾っていないので直ぐ買わないともう誰かに買われるぅ~」と切羽詰った考えで、一生懸命貯金して貯めたお金をはたいて、思い切って買ってしまったのではないか、と考えたりしました。高額な商品に飛びつく購買者心理は、欲しい物が「もう売れて無くなるのではないか」「もう一生買えないのではないか」「よし、買おう、もう」となるのでしょう。なんといとおしいことです。
「もうはまだなり」という格言があります。松茸もコートももう買えないことはありません。後でもまだまだ買えます。まだまだ安く買えるでしょう。もうこそ購買者が勝手につける最高の付加価値ですね。
さて、その松茸で「松茸の土瓶蒸し」と「松茸ご飯」を作ってくれました。スダチの汁を一振り、旬の菊の甘酢、戻り鰹の焼物、娘一家の旅行先から送ってきた日光の湯葉まで、並びました。焼き松茸も所望しましたが、2種類にたっぷり使った方が美味しいということで、焼き松茸は次の機会となりました。特有の香りと歯切れのよさは日本料理にふさわしく、食用キノコの王者ですね。目を閉じて松茸の馥郁とした芳香をかぎ、プリッとした歯ごたえを堪能しました。
2008.09.20.
ライター:Jean-Paul Aikawa ジャン-ポール アイカワ
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