文化・芸術

「悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ」

今月の本

 「悲劇のロシア 

ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ

亀山郁夫東京外国語大学長 

/ロシア文学・ロシア文化論

/日本放送出版協会683

ロシア文学と聴くと若い頃を思い出します。昔、肴町の

東山堂書店でドストエフスキーやトルストイの本を手に

取るとその分厚さと重さと長さに圧倒されたものです。

ドストエフスキー「罪と罰」の長い物語の尾末辺りに

「人間は幸福のために生れてくるものではない。

罪をあがなうために生きている」旨のくだりは

忘れ難いのです。

又、エイゼンシテインの映画「戦艦ポチョムキン」の

鮮烈な印象も忘れ難いですね。懐旧の念に駆られて

この本を読みました。

ロシアの歴史は独裁と隷従の歴史であるという。

広大無辺の国土。帝政、社会主義革命、スターリン独裁。

19世紀から20世紀にまたがる百年に生きたロシア、

ソヴィエトの芸術家達の「闘い」の現実とその「悲劇」。

本書は、2部からなっています。前半は、19世紀の

作家ドストエフスキーを中心に、人間の「傲慢」を

キーワードとし、ロシアの悲劇が描かれている。

後半は、20世紀ソヴィエトに生きた4人の芸術家と

スターリン権力の闘いが描かれている。スターリンによる

大テロルが産み落とした受難の強度において、

創造的知識人と民衆は深く一体化していた。

彼らは、みな、権力へのそれぞれの献身において

破滅した人々であった。

◆社会主義サークルに参加したことで逮捕されシベリアに

流刑された、帝政ロシア末期の小説家・

フョードル・ミハイロヴィッチ・ドフトエフスキー18211881

「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」等の5大長編他を著し、

神か革命かの根元的な問いに引き裂かれながら人間の

深淵を描きだした)。

◆革命を熱烈に支持し革命詩人として時代の頂点に

立ったがスターリン権力が台頭するなか、いきづまりと

恋愛事件でピストル自殺(チェカー員による謀殺説もある)

をした、ソ連の詩人・ウラジーミル・マヤコフスキー

18931930、代表作に叙事詩「ズボンをはいた雲」

「これについて」)。

◆戯曲で人気を集めるも、当局による上演禁止や

原稿押収で、激しい浮き沈みを経験した、ソ連の作家

ミハイル・ブルガーゴフ18911940、代表作に小説「巨匠

とマルガリータ」、巨悪のスターリン独裁下にあってこの

小説を発表すると生命の危険もあるため、ブルガーゴフ

死後も永らく未亡人の手元に原稿のままで留められ、

死後26年目に名誉回復、この小説を公刊し名声を得た)。

◆第1次ロシア革命20周年を記念するため国家的要請に

基づいて作られた「革命」の純然たるプロパガンダ映画で

有名な「戦艦ポチョムキン」のソ連の映画監督

セルゲイ・エイゼンシテイン18981948、その後、

スターリンの肝いりによる「イワン雷帝」第1部でスターリン賞

を受賞するも、第2部に対してスターリンは批判と上映禁止

の命令を下し、エイゼンシテインは失意のうちに世を去った)。

ショスタコービッチ19061975)は、交響曲第一番で

国際的な評価を受けた。更に1934年、国内外で評判が

高く爆発的な人気を呼んだオペラ「ムツェンスク郡の

マクベス夫人」がスターリンの一声で上演禁止となった。

ソヴィエト楽壇の寵児ショスタコービッチを一夜にして

「人民の敵」へとおとしめ、同時に、周辺にいる多くの

作曲家を恐怖のどん底に突き落とす結果となった。

しかし、有名な交響曲第五番で名誉回復、スターリン

没後も次々と問題作を発表し、今日ではマーラー以後

の最大の交響曲作家とも言われる。

アレクサンドル二世暗殺18813月、

皇帝アレクサンドル二世が、テロリズムで政府打倒を

謀る「人民の意志」党員の投じた爆弾によって暗殺

された。皇帝暗殺の企ては、1866年のドミトリー・

カラコーゾフによる未遂事件を皮切りに、その後も

再三にわたって起こっていた。

父の殺害18396月、トストエフスキー18歳のとき、

父ミハイルは家に仕えていた数人の農奴によって

殺害された。モスクワの南130キロにある

ドストエフスキー家の領地で、領主である父ミハイルは、

相手かまわず農奴をステッキで殴り、気に入れば

その娘たちに狼藉をはたらく。ミハイルは、日頃から

農奴たちの恨みを買っていたとされる。

大テロル:スターリンが行った反対派一掃の大粛清。

1937年に968千人 、38年に628千人が逮捕され、

そのうち37年には353千人、38年には328千人が

銃殺されたとされる。スターリン権力の時代、何の予告も

なしに、人々は絶えず「不意の暴力」や「不意の殺害」の

予感の中に生きていた。

チェカー員:チェカー(非常委員会)は、1917年の

10月革命後に設立された「反革命・サボタージュ及び

投機取締全ロシア非常委員会」の略。しかし、チェカー員

と言った場合、広く「秘密警察員」の意味でも用いられる。

チェカー員によって反体制人物をあらゆる方向から包囲し

粛清や暗殺も行う。

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