本・文学等

本 「武士道」 新渡戸稲造著 鴨下龍一郎訳

Img_1116_1_3  旧五千円札の肖像でも知られる、岩手県盛岡市ゆかりの新渡戸稲造の英文による著作である。新渡戸は、明治維新の時期の生れであるが、盛岡市には今でも“生誕の地”が整備され残されている。

 この本は、原題を「BushidoーThe Soul of Japan」といい、明治32年・38歳のときに、アメリカで出版されたものである。

 武士道とは、何でしょう。副題にソール・ジャパンとあるように「日本の魂」、サムライから続いている日本人の心に宿る伝統的精神性ということでしょう。それは、義―武士道の礎石、勇―勇気と忍耐、仁―慈悲の心、礼―仁・義を形として表す、誠―武士道に二言はない、名誉―命以上に大切な価値、忠義―全てを犠牲にしても忠誠を尽くす、ということです。

 序文にあるように、日本では九版を重ね、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ポーランド、ノルウェー、中国で出版され、ルーズベルト大統領が、みずから本書を読んで、武士道の崇高な精神にたいへん感動し、日本びいきになり、友人達や家族にこの本を配ったそうで、身に余る光栄であると著者が書いています。100余年以前に世界的なベストセラーとなり、新渡戸と日本の精神性が世界に知られることになったことは、日本の国にとっても、日本人にとっても大変よろこばしいことであったと思います。

 折りしも、日本の政治は、与党と野党が入れ替わり、明治維新にも似た状況という論者もいる今次こそ、明治維新終期の近い時期に書かれた世界に知られる本書の視点から、日本人を問い、倫理観、道徳観を考える格好の機会でありましょう。

clock2009.09.03 pencameraライター&フォト:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

   

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本 「1Q84」1,2 村上春樹著

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1Q84(イチ・キュウ・ハチ・ヨン)1、2共に¥1,890円 新潮社刊

日本でノーベル文学賞に一番近いといわれる作家・村上春樹(60)の最新書き下ろし長編小説「1Q84」に触手が動いた。こんなにエンターテインメント性が強くてもノーベル賞にとどくのだろうかということが第一の読後感であった。

1Q84年━私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう、青豆はそう決めた。Qはquestion markのQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身を置いている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。今は1Q84年だ。空気が変わり、風景が変わった。私はその疑問符つきの世界のあり方に、できるだけ迅速に適応しなくてはならない。新しい森に放たれた動物と同じだ。自分の身を護り、生き延びていくためには、その場所のルールを一刻も早く理解し、それに合せなくてはならない。(本文より)

正しいと信じる暗殺、性と暴力、宗教、カルト等など、近過去と現代の諸相が重なって暗雲のように漂い、読む者を引き離さない。女殺し屋・青豆と小説家志望・天吾の心の行き場のない余りにもさびしい30年の孤独な人生の心の旅路の物語と読み取れる。何があろうと、ここがどのような世界であろうと、これからこの世界で、この温もりを胸にこの温もりを忘れないで、生きて行くのだという、終章の、わずかな曙光に照らされている旅立ちは切ない。

clock2009.07.30 pencameraライター&フォト:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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自室より 「僕だけの岩手山 」 

「窓あくる朝ましろにぞ南部富士

       空藍ふかし雪ふりにけり」

            ジャン-ポール アイカワ

clock2008.12.01.朝7:40 ( ´_ゝ`)ノボンジュール♪

快晴 雲一つなし 自室より081201img_0304_1   081201img_0302_1

pencameraライター&フォト:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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俳句 「柿」

081106_img_0029  camera08.11.06apple法隆寺の茶屋に憩いて 「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 子規

Img_0167_2camera08.11.17apple風に落ち鳥についばまれいと虚し 「柿たわわ 実り短かや 寒忍べ」 ジャン-ポール アイカワ

上の子規の句を「法隆寺で柿を食べていたら、偶々、鐘が鳴った。ただそれだけだ」という論者もいます。「子規は、深遠な思想でなくても、日々体験する様々な思いも大切であるとし、それをこの句は端的に示し、生きている者の瞬間が具体的にうたわれている」という、子規研究者もいます。また、17字の短詩型の俳句が、現代社会の思想、感情、現実をとうてい盛り込みうる容器でないという桑原武夫の「第二芸術ー現代俳句について」という“俳句第二芸術論”もあります。僕も、桑原武夫に近い考えで、若い頃から俳句に近づくことはありませんでした。しかし、歳を経た近年になりまして、何かの事象を見て、五、七、五を無意識に口ずさんだりする、可笑しな現象が生じることがあります。飲み会の帰りに、道を歩きながら知らない演歌を、自然に口ずさんだりするようなものです。我ながら不可解な現象なのですが現実です。正岡子規先生、季語も知らないジャン-ポール アイカワの駄作を並べるご無礼をご海容ください。

pencameraライター&フォト:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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8月の本「ナジャ」アンドレ・ブルトン著 稲田三吉訳/現代思潮社

20世紀のシュールレアリスム(超現実主義)運動の中心的存在として君臨したアンドレ・ブルトンの小説です。45年前20代に購読した本を本棚から引き出して再読しました。単行本で定価が580円ですが、帯表紙の背面のイラストには旧字で「定價85円」と書かれています。本当の定価の5と8の数字を逆にして、一桁安い金額です。本を開く前からシュールな趣向を凝らしシュールレアリズム面目躍如といったところです。                        さて、「私はいったい何者だろうか」という冒頭の哲学的な問い掛けから、「美は痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう」という最後の意味深長な一行まで、その間に現れる超現実的な思惟は、全ての思想も呑み込んでいるかに見えます。ペシミズムもコミュニズムもシュールレアリスムに溶解されているような感応を覚えます。娼婦とおぼしき「ナジャ」が神憑り的であり、哲学的、芸術的であります。また常人と狂気をあわせ持ち謎めいています。ブルトンは「社会動物としての意識的人間だけが人間ではない。夢や眠りの中に現れる無意識的自我も明るみに出して、全人間として人間を見るべき」と生前主張していたと伝えられています。パリが舞台で多くのパリの街角が細やかに描かれています。生のパリの香りとパリの思い出も髣髴とさせてくれます。                                clock2008.08.29 penライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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「紫式部 源氏物語 巻一」  ライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

「紫式部 源氏物語 巻一(まきいち)  瀬戸内寂聴 訳  講談社文庫660

巻一・目次 桐壺 帚木(ははきぎ) 空蝉(うつせみ) 夕顔 若紫

今年は「源氏物語」が書かれて丁度千年目に当たるそうです。瀬戸内寂聴によれば「源氏物語」はわが国が世界に誇る最高の文化遺産なそうです。面白い長編小説といえば、トルストイ「アンナ・カレーニナ」、ドストエフスキー「罪と罰」、フローベル「ボヴァリー夫人」、スタンダール「赤と黒」、プルースト「失われた時を求めて」など、これら西洋の小説より800年も前に「源氏物語」が書かれていることは驚きであり、面白い王朝華やかな大恋愛小説の傑作というのです。更に瀬戸内寂聴は、「源氏物語」を外国人が翻訳を読んで驚嘆賞賛し、日本人が「源氏物語」を知らない、読まないということは恥ずかしいことだというのです。なぜ日本人に読まれなかったのか。それは千年前の文章が難しいからです。与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子の現代語訳があるのですが、それでもまだ難しい。とうとう瀬戸内寂聴は、自分でも「源氏物語」をもっと読みやすく誰でもが読めるようにしようと、10年掛かって全編をやさしく分かりやすく訳し終えたそうです。12年前のことです。ご苦労様でした。

古い昔の本は分かりづらくて敬遠しがちです。昔と今では文も、衣食住も、社会環境もいろいろな呼称も全く違うので、理解し難いのは当然でしょう。「源氏物語」より読みたい本は沢山あるのですが、しかし、寂聴女史から「源氏読まずは日本人の恥」といわれると「男の恥」でもありして、読まないわけにいかなくなりました。東山堂都南店へ出掛けました。直ぐ見つかりました。瀬戸内寂聴現代語訳「源氏物語」巻一から巻十まで、講談社文庫660円×10冊がありました。谷崎潤一郎とどちらが名訳かはさておいて、手にとってページを開くとなるほど読みやすいので買ってきました。10冊買っても読まず残しは勿体ない。取りあえず「巻一」一冊を買って読み終えたら次ぎを買うことにしました。一週間で読み終えました。

先ず感じたことは千年前の人間は性的に現代人よりも動物的で奔放な印象が持たれました。平安時代は今のように一夫一婦制ではないのです。一夫多妻制です。しかも、通い婚で夫が好きな妻の家に通うのです。喧嘩した妻や嫌いになった妻からは自然に足が遠のきます。気がすすまなくなると週一とか月一とかになってしまいます。妻が何人もいるのです。妻を沢山持つほど権勢の象徴になるのです。帝(みかど/天皇)は、後宮に何十人もの妃(きさき/妃に位あり)がいて、帝は好きな妃を自分の寝殿に呼んで気に入れば、昼夜を問わず侍女を従えて性に耽るわけです。こう書くと素晴らしいハーレムで、俺もわたしもと憧れる向きも多いと思いますが、後宮はあい競う権勢家の自己拡張運動が集中するすさまじいところでして、謀略や隠然たる迫害で妃たちが死に追いられることもある世界です。妃たちの義務の第一は、皇子を産むことです。中国には後宮3千人などとい言葉があるそうです。一人一日のペースで毎日励んでも、一回りするのに10年近く掛かります。こんなスケールの大きい男女関係にはびっくりして疑いたくなります、中国には、万里の長城という日本列島の2倍の長さに及ぶ建造物があるくらいですから、3千人があながち架空とも思えなくなってしまいます。その点では今の日本や英国の皇室は衰えたものですし、実際、世継ぎにも困るわけです。もう一つの印象は、子供を大変可愛がり大切に育てることが、今以上のように伝わってきます。千年前ですから、子供の早死にや大人の寿命も短いためでしょう、命をとても大切にすることが伝わってきます。世継ぎのこともあるのでしょう。

さて、巻一は主人公の光源氏が出生し、12歳で元服・結婚、数人の姫君などとの情交を結ぶ、18歳までが描かれています。光源氏の生涯50年余・孫の世代20年弱、合せて70年間、登場人物430人に及ぶこのスケールの大きい小説は、巻を追う毎、年を経る毎に愛と世のはかなさや煩悩が深くなっていくようです。作者・紫式部は、30過ぎの子持ちの寡婦なそうです。

eyeglass次の本のいずれかを先に読んでおくと、分かりやすくすらすらと読めますよ。

・瀬戸内寂聴「源氏物語の女性たち」 NHKライブラリー 定価872

・瀬戸内寂聴「源氏物語の男君たち」 NHK出版     定価683

lovely光源氏:この小説の主人公で、稀有な美男子にして、文武両道あらゆる才能に恵まれ、妖しいほど魅力的な上、人並み以上に多感好色な皇子です。

pencil紫式部/物語作者生没年未詳(生年は978年・天保元年が通説)。平安時代中期の女性作家、歌人。源氏物語の作者。中古三十六歌仙(藤原範兼の『後六々撰』に載っている和歌の名人36人の総称)の一人。『小倉百人一首』にも「めぐりあひて 見しやそれともわかぬまに雲がくれにし 夜半の月かな」の和歌があります。藤原北家の出で、女房名は「藤式部」。「紫」の称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部大丞だったことに由来します。

book瀬戸内寂聴・作家…東京女子大卒。代表作に「夏の終わり」「花に問え」「現代語訳源氏物語」など。元天台寺住職。06年に文化勲章。85歳。徳島市出身。

clock2008.4.30 penライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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「西行の桜三首」   ライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

「西行のcherryblossom桜三首」  西行 1118年~1190年 平安後期の歌人・僧侶 

桜の季節です。西行は、桜花は270首ほど詠んで、花鳥風月、自然と人生をあわせて約2000首の歌を残しました。

     

cherryblossom願わくは花のしたにて春死なむ

             その如月(きさらぎ)の望月の頃
   (願うことは、花盛りの桜のもとで死にたいなぁ、陰暦2月の満月の頃、お釈迦さまと 同じように)

cherryblossom聞きもせずたはしね山(束稲山)の桜花 

              吉野のほかにかかるべしとは

   (聞いたこともなかったよ、束稲山(たばしねやま)の桜が、花の名所の吉野山のほかにも、このように素晴らしいということは)

   

cherryblossom吉野山こずえの花を見し日より

            心は身にもそわずなりにき

   (吉野山の梢に咲く桜を見た日から、自分の心が身にそわなくなってしまったよ。肉体から魂が浮かれ出てしまって、桜の周りに漂うようになってしまった)

西行は「願わくは…」の歌のとおり、お釈迦様の入滅の216日の同じ日に、没しました。2月は陰暦で今年の西暦に直しますと、420日の満月の日に当たるようです。西行は、現実の生での種々の人間的欲望を断念したいさぎよい人、桜花の散りぎわのいさぎよさを愛し、無一物の世界に出家した僧侶にして歌人です。国道4号線を挟んで平泉の東の束稲山(標高596㍍)には昨年秋に登ってきました。登山の案内本によりますと岩手40名山の一つに数えられていますが、中腹を東山まちに向って自動車の道路が貫通し、山頂にはテレビ塔が林立し自然の美しさが損ねられた状態で、折りしもそれを悲しむ、涙のような小雨が降ってきました。「聞きもせず たはしね山の桜花…」この歌の歌碑があるのではないかと頂上で探し、道端も気をつけて見ましたが、見つけ兼ねました。多分ないのでしょう。その昔、日本随一の吉野山の桜にも匹敵する束稲山の桜の見事さに驚嘆した西行に、今の束稲山を見せたら何と詠むでしょう。藤原三代の栄華が咲かせた束稲山の桜も、今は少なくなったようです。「吉野山こずえの…」は、吉野山の蔵王権現に捧げられた聖なる花を、修行中の吉野山の西行草庵から見た心境でしょう。美を愛でる芸術心よりも、世のはかなさ、人の哀れさを散る桜に重ねた宗教心に近いものでしょう。西行は23歳で、突然官を辞し妻子を捨てて出家遁世しました。出家の際に、衣の裾に取りついて泣く可愛い4歳の娘を縁側から蹴落として、娘と妻を振り切って家を捨てたという逸話が残る「西行物語絵巻」徳川黎明会蔵の絵を見ていると哀れでなりません。なぜか散る桜花まで重なってくるのです。桜の季節になりまして書斎の本棚から「西行の世界」(久保田淳・東京大学名誉教授)を取り出してペラペラめくり西行の桜花を思い起こしました。     

clock2008.04.30 penライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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5月の文学・「心」 夏目漱石

「心」  夏目漱石

姜尚中(カン・サンジュン/東京大学教授)の人生の傍らには、いつも漱石の本があって、一番好きな作品を一冊選ぶとしたら「心」なそうです。もう30年くらい前、親がくれた「心」が本棚に眠っているのです。

その「心」をまだ読んでいないのです。姜尚中が選ぶ一冊なら読んでみようかと食指が動きました。「心」は、「先生と私」「両親と私」「先生の遺書」の3部から成っています。先生は若くして両親を失い、叔父に財産を横領され人が信じられなくなっています。先生と友人は、明治の知識人たらんと世界の書を紐解き猛勉強します。二人は一緒に下宿をしています。下宿のお嬢さんを二人とも好きになり、先生は友人を出し抜いてお嬢さんと婚約します。友人は自殺します。先生はお嬢さんと結婚しますが、友人を出し抜いたことをお嬢さんには話しません。先生は、友人を裏切り自殺に追い込んだ自責の念にいつも責められます。最後には先生も罪の清算として自決します。このようにあらすじを書くと色恋沙汰と思われますがそればかりではないのです。自我の確立や人を傷つけずにはおかないエゴイズムなど主人公の心の懊悩を描いており、明治の作家でも既に極めて現代的な人間心理の深奥を捉えていて100年近く経っても新鮮です。人の心の働きはいつの時代も同じで変わらないのでしょう。勿論、風物や生活は明治期を彷彿とさせますが、明治の知識人の心は、現代人と同じ心に映りました。

pen夏目漱石(なつめそうせき)……慶応3年(1867年)~大正5(1916)。日本の小説家、評論家、英文学者。『我輩は猫である』『心』などの作品で広く知られる、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の大文豪である。江戸出身。帝国大学英文化卒業後、松山中学などの教師を務めた後イギリスへ留学。帰国後東大講師を勤めながら、「我輩は猫である」発表。これが評判になり「坊ちゃん」「倫敦塔」などを書く。その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『心』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。

watch2008.05.31 pencilライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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