学術

「虫のこころ」 「ロボットのココロ」

牛糞を丸めて転がして運ぶスカラベ

“一寸の虫にも五分の魂”という諺がありますが、虫にも“こころ”があるのでしょか。ファーブルの昆虫記によりますと、小さな虫・スカラベ(別名・糞ころがし)は、糞を食べ、自分の体より大きな牛糞の玉を作り自分の住みかへ転がして運び、穴に埋めて、交尾をしてその牛糞の玉に卵を産み付けて種を絶やさない。その行動の一部始終を見ていると、種を絶やさない人間の出産と育児に重なります。虫も人間と同じに見えてくるのです。本能が成せる業なのでしょうが、糞を転がし一生懸命働く虫の姿、孵化するまで寝る間もおしんで子が誕生するまでの3ヶ月間、卵の入った牛糞の玉の世話をする愛情溢れる親虫の姿には、“こころ”があるように思えるのです。古代エジプトのスカラベをかたどった胸飾りや指輪が、ルーブル美術館やメトロポリタン美術館にあるということですので、何千年も生き延びた虫なのですね。

古代、現代を跳び越えて、未来へ思いを馳せましょう。「2050年に、サッカーのワールドカップの優勝チームに勝てる、ロボットのサッカーチームをつくる」ことの夢を目標にするロボット学者がいます。彼は、ロボットにココロ(彼はロボットの心をココロと書きます)を創発させ、最終的には人間の心に迫ろうと考えているのです。人間と心を通わせるココロを持ったロボットが日本で生まれ、それが世界に広まって、ロボットに対する感覚を大きく変えていく日が必ず到来すると、彼は信じて研究と実作をしているのです。デパート、駅、病院、図書館等の施設や家庭、更には街にも、ココロを持ったロボットが人間を助け、人間と共生する時代が到来するらしいのです。自動車の例を考えてみてください。自動車は人間の生活に役立つので、今、街中に溢れています。ロボットも自動車以上に人間の生活に役立つことになれば、家庭や施設の内外、街中にアッという間にココロを持ったロボットが溢れることでしょう。そのロボットが溢れる近未来図を想像してみてください。抵抗なく現実味をおびて来ます。2050年までは余命がありませんので、見届けることはできませんが、成功を祈ります。

㊟人間の心を「心」、虫の心を「こころ」、ロボットの心を「ココロ」と書き分けました。

人型ロボット「アクトロイド」

cameraフォト:wikipedia

clock2009.02.08 penライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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今月の学術

tv「DNAから見たしあわせ」 NHK教育TV

search本庶佑(ほんじょ・たすく)/京都大学客員教授・生命科学。                earDNA、遺伝子、ゲノム、DNAの二重構造・2mなど、技術的な話はさておいて、結論から言うと、「快感」と「不安感」がヒトを含めたDNAをもった動植物を現在まで生存させているという。食欲における快感・美味しかったという満足感、性欲における快感・セックスをして気持ちよかったという充足感、競争における快感・競争に勝った悦びが生物存続の源であるという。もう一つの生物存続の源は、弱肉強食上の食べられるという不安感が生命を守っているという。これら「快感」と「不安感」がなかったら、おそらく今ヒトを含めた生物は存在していないであろう。このような生物学からの幸福感は、「欲望型」と「不安型」が考えられる。食や性や競争を欲望に従ってエスカレートして追求していくと次第に麻痺して充足感が得られなくなり、幸福感や満足感が薄らいでいく。一方、アウシュビッツに入れられていつ殺されるか分からない状況では食や性が小さなものになり、生きているそのことの幸福感は大きくなる。

pencil筆者:さて、しあわせとは何であろう。生物には幸福という概念は元々ないのではあるまいか。食べることが出来て、性で子孫を残し、競争で勝ち、不安をもって殺されないように防御する。これが出来ない生物の種は滅亡する。それだけのことであろうか。生きながらえれば幸せということか。死滅すれば不幸せということか。む…、む…、む…、(・・?)。  毎年、地球は太陽に近づいており、あと2億年で地球は溶けてなくなり、全ての生物も滅亡する運命にある。悲観的なことばかりいうつもはないが、長いスパーンでみると地球温暖化どころか、地球灼熱溶解化に帰してしまいます。諸行無常である。虚無である。

clock2008.2.29 penライター:Jean-Paul  Aikawa ジャン-ポール アイカワ

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「憲法」

「憲法」 

NHK4 

長谷部恭男

/東京大学法学部教授/憲法学

自然科学は、本質は何かを探す。憲法は、理想は何かを探す。

「表現の自由」憲法は芸である。理想は100%にはなかなか

いかない。60%でも、70%でも折り合いをつけられれば

憲法はそれでよい。

国家とは何か。国≒憲法。憲法は無理をがんばるワザである。

上手いか下手かの領域である。憲法は自分の責任で信じ疑え。

改憲派⇔護憲派。世界は一つがよいか。一つの国家がよいか。

集団偏向現象は注意を要する。カント(17241804ドイツ

の哲学者)は「一つの国家よくない。一つの価値観よくない。

一つへの統一よくない」といっている。「個々のバラバラな

生き方をバラバラのままつなぐのが憲法である」

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